"スポーツにおける自由とは"
IMGアカデミーには毎年数回ほど出かける。24時間を越す移動時間は当然のことながら空間の移動でもある。回数を数えられないほどこの30余年間にわたりIMGアカデミーに向かってきた。
時差で眠れない夜が明けて早朝からコートに歩みを速めている。IMGアカデミーに漂う空気の匂いはずうっと変わらず、匂いに経年した自分を忘れる。
IMGアカデミーをトレーニングベースにしたいろいろなアスリートに出会った。個人競技、チーム競技にかかわらずアスリートは常にIndependentであることを求められかつ認められる。それはつまるところ「自由」を求めてのことだと思う。決して壁に囲まれた中に求める自由ではなく、自分という世界を無限に求めたところにある「自由」の中でトレーニングに励む。この「自由」だが、何をもたらしてくれるのであろうか。
そうこう感じているところにテニスコートでトレーニングしている12歳の少年に注視した。広いコートにコーチと二人。コーチはボールをフィードするだけだ。特にアドバイスも加えない。少年はボレーの練習をしていた。コーチは二つのターゲットを示し、いろいろな三角にも四角にもなるボールをフィードしている。決してコーチに指図されない少年は自分を取り巻く「自由」の中であれこれと「工夫」していた。「自由」に、すなわち「無我夢中」にボレーを我が物にしようとしているような少年に、IMGアカデミーが提供するものは「工夫の楽しさ」ではないかとふと思った。
無我夢中に工夫する「自由」をIMGアカデミーはユースだけでなく、幅広い人生にわたって提供し続けてくれる。IMGアカデミーのフィロソフィーはスポートピア/Sportpiaと称される。だが、決して甘い楽園ではない。
IMG Academyはごく頂点にあるプロの輩出を含めて、一つ上の自分を目指す多世代のアスリートがトレーニングに励み、いつの間にか人生を誰もが学ぶのである。
長い旅路はもう御免という自分は、帰国時の空港までのシャトルの中でスケジュールを探っている。
AIをはじめとするITがIMG Academyのあらゆる場面に取り入れられている。1.200人近くの長期留学生に並んで年間を通して多くのキャンパーへの指導体制は最新のテクノロジーを駆使している。それは、一人一人にアカデミーが掲げるテーラーメイドのコーチングを提供することにつながっていく。個々のアスリートにより安全に、効果的に、効率的に、普遍的にアカデミーの持つ能力を展開して行く上で、テクノロジーの進化への必要性を強く感じさせる。
一週間のキャンパーから長期留学生までにしっかりと統合されたプログラムを、期間中に積み重ねたデータとコーチやスタッフ達の人間愛を合わせたシナリオにした物語を一人一人のアスリートたちに作り出しているようようだ。管理されあてがわれた教育ではなく、人生におけるリーダーシップを育てあげようとしているのかも知れない。
30余年にわたりアカデミーの成り行きを見続けながら、スタジアムの高台から青空の下に広がるキャンパスにさらなる展望を抱きます。
"IMGアカデミーオンラインキャンプ"には源流がある。アカデミーの創設者ニックボロテリコーチ(2014年テニス殿堂入りし現在もなおコートで活躍中)が、Distant Learningとして10数年前に、当時はビデオ収録したテープを送り、評価を受けて受講者のもとに戻るもので、ビデオテープが送り戻されてフィードバックを受けるためには日数を要し、ましてや今日とは比較にならないほどの僅かな情報量であった。
しかし、近未来を先取りするアカデミーは革新的な手法を用いてオンラインキャンプのフレームとコンテンツを高め深め広め続けている。
ニックボロテリはスポーツを産業化したパイオニア的存在でもある。彼の出現がなかったならスポーツの産業化は遅れたのではないかと評されている。
今回のオンラインキャンプには大切なメッセージが組み込まれている。アカデミーの創設以来のポリシーの一つ、アスリート達への社会貢献を自らコーチングスタッフたちが示し、ずっと先の何年か後に、貢献を受けたアスリートによる社会貢献への遥かな道なりを作るものになると思う。
今日のコロナ禍などの苦境に立たされるアスリートが難曲を打破し、Become More!、一つ上の自分を目指すことへの手助けになるのだ。
この40年間にわたるアカデミーのコーチやスタッフ、早朝3時にコートキープする裏方とも言うべき人達の積み重ねが、オンラインキャンプに結実されていると信じている。
何故なら、オンラインキャンプを担当するコーチ達のジュニア達への語り口に、あらためてニックボロテリーを源流とした脈脈とつながる世界を見せている。
そして、コロナへの不安が払拭された後、IMG アカデミーのキャンパスは留学生と短期キャンパーで賑わうことを期待したいと思う。